男と女の間には…

最近、ビジネス誌で「女がキレる言い方、男がイラつく言い方」など、女・男の違いを取り扱った記事をよく見るような気がする。企業の管理者向け研修でも、ダイバーシティ(多様性)をからめながらそんな要素を取り入れることが増えてきた。

 

このような中で、相互理解のために引用されるTIPSナンバーワンが「女は共感思考、男は問題解決思考」。私個人としては納得できるような、1点腑に落ちないような…。ひょっとして、これは生得の性質ではなく、単にそれぞれの生息環境にあったサバイバル術な(だった)のではないか。はたして、職場にこの通説を持ち込んでよいものか、と。

 

個人の人生をライフステージ(役割)で見た場合、女性は、歴史的に職業人としての割合が小さかった。そのばあいの評価基準は、例えば手料理の場合、おいしかったという家族からの「感謝」や「共感」の相対評価だ。職業として相手に食事を提供した場合に、単価×来客数として示される絶対評価的な「結果」とは異なる。

 

また、女性の役割のうち母・妻・嫁といったものは、、逃げられないシチュエーションに直面することが多い。まず、イクメンならぬイクママという言葉が当たり前すぎて存在しないように、子育ての中心的な役割は女性が担う。そして、子育てを怠ると「ネグレクト」として法律で罰せられる。子育ては、義務なのだ。

 

次に、担い手の7割が女性である介護労働。内訳はざっと挙げただけでも、食事介助、買い物、炊事、衣服の着替え、入浴の手伝い、体位交換、トイレ誘導やオムツ交換などだ。この労働は子育て同様、365日24時間で行なう必要がある。しかも無給で、退職することは許されない。超がつくブラック企業でもさすがにこうはいくまい。

 

このように根本的な解決が不可能な状況で、いちいち「問題解決思考」を持ちこむとどうなるか?精神的に疲弊してしまうだけであろう。それよりも、「ホントに大変だわねェ」「ほんとほんと、ウチもそうだけど、いつまで続くやら…」とぐちり合い問題の共有を図ることこそ、真の「問題解消」となる。

 

女性=共感ストラテジー有効説は、主な生息地であった家庭や地域社会が「問題解決思考」を持ち込んでも幸せになれない、という性質の世界であるからではないか。つまり、このストラテジーが有効にはたらく条件は、使う「相手」によるのではなく、行使する「状況」によるのではないか。ということは、タスク解決の積み重ねであるビジネスの現場で、果たして人を動かす手段として常に通用するのだろうか?どうも未知数の部分が多いようだ。