11/10(日)、1年前に急逝した大学院時代の恩師を追悼する「陣内正敬さんを偲ぶ会」に参列した。陣内先生は日本語方言の大家、一方私は英語系のゼミに所属したのだけど、日系企業の呼称を扱った内容だったため、修論作成のときに多大なお世話になった(迷惑をおかけした)。そんなご縁であった。
いつもにこやか、飄々とした風貌で、ご自身も多くのゼミ生を抱えていたにもかかわらず、指導教員の一人として、つきまとう私に嫌な顔ひとつせずに付き合われた。あまつさえ、これは自分が見たなかで5本の指に入る優れた修論、と激賞していただいたのだった。
豚もおだてりゃ木に登る。調子に乗った私が専門誌に投稿しようと息巻くと、書き直した論文の内容から誤字からチェック、投稿先まで示唆してくださった。だが結果は「撃沈」。むくれる私に、査読者(審査をする人)との相性もあるんだからめげずにどんどん投稿しなさい、との優しい励ましのメールを最後に、ふっつり連絡が途絶えた。
その少し前に病気が判明し、余命数か月を宣告され、即療養にはいられたらしい。あとで聞いた話とはいえ、よくもまあそんな時期に、落ちたからもうあきらめるか、それともリベンジか、それが問題だ、などとじゃんじゃか相談メールを送りつけてしまったものだ。自分の厚かましさ加減に顔が赤らむ思いである。
「偲ぶ会」では、その道でのいわゆる有名人から若い卒業生まで、多様な顔ぶれが先生を語った。中央に飾られた遺影は、いつもの笑顔でそれを聞いていた。私も先生と呼ばれる人種の一人であれば、この世に存在していたことで、少しでも誰か何かの役に立つことができればいいな、とふと思った。