本を読んでユウウツになったのは何年ぶりだろうか。久々に繰り出した本屋で(最近、本の購入はネットに頼っていた)、視線が合った本があった。著者は上野千鶴子。おおっ上野女史、お久しぶり!という感じで気軽に読み始めたのだが、どんどん気分が落ち込み始めた。私はこれまで、女性労働者という同種族に、どのぐらいの貢献ができたのだろう。
この本は、均等法以降の女性の歴史について語っている。女性の労働条件はその後向上したか?答えはイエスでもありノーである、と上野氏は語るが、私はあきらかにノーだと考える。
同じ年に施行された労働者派遣事業法で、一般事務のハケン化の突破口が開かれる。いわゆる非正規雇用が産声を上げたのだ。その後の不況により、戦後経済を支えた男女の雇用格差は世代間の格差へとじわじわ広がっていく。若年層男性が正規雇用につけないことで、男女格差のほぼ唯一の解消手段だった「結婚」もなくなっていく。
一方、私個人のヒストリーはどうだったか。客観的に見れば、勝ち逃げではないかと思う。1985年の男女雇用機会均等法施行後かつバブル崩壊以前の「総合職」としてのレアな就労条件、そこでイレギュラーな異動にあったとき自分の適性を見つけるという巡り合わせ。さらにパワハラ&マタハラで退社に追い込まれた後も、人脈をたどりつつ、ほそぼそと気に入った仕事で食いつなげているというラッキーさ。その仕事の中には、若年者向けのキャリア・コンサルタントという「勝ち組より『上から目線』の説法」もある。どあつかましい話だ。
平凡な女でも、子供を産んでも組織の中でサラリーマンを張れることを証明しようとして、挫折した。それならと自分で自分の働ける場所をこしらえて、こんなおばさんでもなんとか世の中でやっていけることを見せようとして突っ張ってきた。オジサンらが構成する社会でのささやかな反逆のつもりだった。
でも女性労働者を取り巻く状況は悪化の一途をたどっているように見える。自分のやってきたことは、単なるサバイバルと自己満足のためだけだったのではないか。将来を真剣に考えようとする女性らに対し、ちょっとでも助けになったのだろうか。就活という椅子取りゲームをあおっただけではないだろうか。いったい私は何をしてきたのか。