「こんなことができないのか!」怒鳴る、威張る、脅す。そんなパワハラ上司に私もかつて仕えたことがあった。決して悪人ではない。でも部下が自分の意のままに動かないと、すぐキレてしまう。口答えをして殴られた後輩もいた。結局、私もこの人の言動が元で会社を辞めてしまった。が、後で意外なことを人づてに聞いた。「あいつ(私)だけは分かってくれると思ったのに」とポツリと漏らしたというのだ。
当時は「アホか」と言下に吐き捨てた。が、急速にグローバル化を進めた薬品最大手の人事部長(正しくは人事パートナー部長)の話を聞いている最中に、元上司のあの一言を思い出し、その心中を突然理解した。要は、甘えていたのだ、組織にも部下にも。
オレがこんなにがんばってタスクに取り組んでいる、その後ろ姿を見ていてくれているはずだ。あいつも自分のミスからこうなったのはわかっているはずだ。だから、怒鳴っても殴っても許されるはずだ。なぁ、わかってくれるだろ?…「はずだ」「くれる」で作り上げた虚像に自分のホンネを語りかけつつ、対話すべき目の前の実物に己の感情だけを叩きつける。
暗黙の了解を前提とした、ハイコンテキスト文化の住人(つまり男)であれば通用する手法かも知れない。でも女という、出世レースから除外されたガイジン相手には、そりゃムリだろう。
実はそのグローバル化企業では、この手のパワハラが消滅したらしい。当然であろう、ホンモノのガイジン同士なのだから。問題点を指摘するときは、まず「○○、キミの最近のパフォーマンスには満足しているよ。Aにしても、Bにしても…」と前段があるそうだ。そして次、おもむろに要件を切り出す。「ただ、Cに関してはどうだろう、キミならもっと素晴らしい結果が期待できると思うのだが…」などとそう考える理由を踏まえながら、諄々と諭すらしい。一切の暗黙の了解なし。言葉勝負の世界である。
グローバル化=英語ペラペラという理解 が一般的のようである。でもそれ以前に、相手が自分と同じようものごとを捉えるとは限らないという大前提が必要だ。世代間差、性差、地域差。そこがわかれば、ドメスティックな企業にいるはずのあなたの周りにも、ガイジンが溢れていることに気付くことだろう。