おおい、約3カ月ぶりの更新だぜい。編集を生業としている者とは思えないほどの怠慢だ。
さて、標題について。
「毒親」という言葉が世間に広まったのは世紀が変わったぐらいからか。心理学者スーザン・フォワード著『Toxic Parents』が始まりのようだ。私自身はちびまるこちゃん的な凡百の家庭に育ちながら、毒親に限らず、ひずんだ家族関係の話に非常に敏感だった。
理由は分からない。小さい頃に神話を読み漁ったせいか(ギリシャ神話も日本の神話も親殺し、子殺し、近親相姦のオンパレードだ)、ひょっとしたら平々凡々な私の家庭に潜む「毒」を、無意識が嗅ぎつけたのかもしれない。長じて、毒親に育てられた人が少なからずいることに気づくにつれ、むしろ健全な家族関係とは何か、という定義が分からなくなった次第である。
毒親は、究極のパワハラだ。「クラッシャー上司」なんかかわいいものである。子どもの生殺与奪を一手に握り、首に見えない鎖を幾重にも巻き付け、その一生を支配する。
だが、そもそも親とは、子どもに圧倒的な影響を与える過干渉な存在だ。だから子どもは、自分の魂に押し付けられた蓋を持ち上げ首をだし、きょろきょろと周囲を眺め、やにわに蓋を持ち上げ親の顔に叩きつけ、離れていく。自分自身がそうし、そうされたように。
これができるケースとできないケースとの違いは何か?今の自分の中の疑問である。
押し付けられている蓋の重さが尋常でないのか、子どもが敏いあまりに、脱出の機会を失ってしまうのか。あるいは救い出してくれる誰かを無意識に待ち続けているのか。そういえば、毒親に育てられた白雪姫は、白馬の王子様に助けられたんだったっけ。しかしその相手が、新たな支配者になる可能性は極めて高い。自らが蓋の隙間から這い出てこない限りは。
白雪姫は著作権上ムリなので、代わりにモーツアルトの歌劇『魔笛』を貼っておく。我が娘に人殺しを迫る毒親「夜の女王」。hihiFの絶叫をお聞きあれ。(空耳アワー付)