語りえぬもの

『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』。19世紀末ウィーン生まれの哲学者ヴィトゲンシュタインの有名な言葉だ。

 

「わからんことについて何を言ってもムダで役に立たんから、われわれは、語るべき領域のことに専念した方がよい」が、通常の解釈である。

  

この言葉に反発を覚える、言語化・図式化大好きのタハラだが、つい先日、語りえぬ体験をした。

 

孤軍奮闘で経営改革を進めていたあるトップが、若手らの考えをひととおり聞き終わったあとに「私は、一人ではなかった」と落涙したのである。一瞬、すべての音が消えたような感覚、なにか温かいもので場が満たされていくような感じは、とてもじゃないけど、居合わせた人間しかわからないだろう。

 

ただし、その先のコミュニケーションは言葉や文字に頼らざるを得ない。トップや若手らが、感動を組織のすみずみに伝え経営改革を進めるためには、非言語体験を、言葉や文字で再現するしか手段がないのだ。

 

実は、先の名言にはもうひと通りの解釈がある。『言語化できないものに対しては、敬意を払ってだまって向きあおう』である。そう、言語化できない時は、その対象に、自分自身に、だまって向き合おう。

 

そしてしっかりと観察したうえで、なんとかかんとか、他人に伝える努力をしてみよう。それでも伝わらないかもしれないが、その人が言葉で耕せる範囲はじょじょに広まってくる。 そして、あきらめずに言語化に努める姿そのものが、聴く人の胸を打つのだと信じている。