タイトルを見て「なるほど、義経がジンギスカンになるよりは、空海が坂本龍馬に輪廻転生していた方がまだ可能性は高いか」と早合点しないでいただきたい。このヒーローたちには意外な共通点があるという意味だ。
それぞれの活躍の年代は1000年以上へだたっている。一方で、四国出身で(山脈を挟んで北と南に分かれているが)かつ諸国を行脚しているという点がまず同じである。
空海の活動時期は8世紀末から9世紀初頭。讃岐国(四国)で生まれ、平城京~九州・博多から船で唐・長安(中国・西安)へ。そして帰国後、都で権力者たちと調整を図りつつ、高野山(和歌山)に寺を建てた。その合間に修業を積んだり、ため池と作ったりと、近畿・中国・四国地方など西日本に神出鬼没(即身成仏の身であられるが)している。
対して坂本龍馬は同じ四国でも、幕末の土佐郷士。1年ほど江戸に遊学したのちに土佐に戻るものの脱藩。以降、江戸~京都を行ったり来たり、あるいは長崎で商社を設立したり婚姻記念に宮崎に足を延ばしたりと活動範囲は広い。蝦夷地(北海道)の開拓も夢見ていたというから、もう少し長生きしていたら北は北海道から南は琉球まで、日本縦断は間違いなかっただろう。
もうひとつの共通点は、エピソードの多さである。
空海が中国留学中に投げた独鈷が飛んできた、という高野山の由緒は有名だ。政府の肝いりでため池造成に励むかとおもえば(農水省のHPのお墨付きである)、口と両手両足の五筆で書を記すわ、ライバル僧を呪詛で妖怪に変えるわ、大昔の人だからエピソードもやりたい放題だ。
だが龍馬だって負けてはいない。新婚旅行の始祖であり、FIRE組(=脱藩者)希望の星でもある。薩摩藩などの協力で設立した亀山社中(のち海援隊)は、日本初の株式会社といわれている。そしてもっとも名高い功績が、「薩長同盟」と新政府のビジョンを示した「船中八策」である。が近年、この2つをはじめ、明治維新に対する龍馬の貢献度合いに疑問符がつけられているらしい。
とすると、ひょっとしたら空海同様、龍馬も同世代と後世の人たちが作り上げた、ひとつのアイドル(偶像)なのかもしれない。
「遠くから来たエライ坊さまがこんなことをなさったらしい」「ホウホウ、それはきっと空海さまとおっしゃる方じゃ」、こんな感じで弘法大師伝説が成立していったように、志なかばで倒れた、多くの名もなき若き土佐の志士のエピソードが「坂本龍馬」として結実したのか。
11月15日は龍馬の誕生日&命日である。高知に残されたあちこちの足跡を見ながら、そんなおもいにかられた。