先日、師匠筋が、いつもの文体をわざと「です・ます調」にしていた。その違いがけっこう強烈でおもしろかった。名文でマネをしてみる。
●吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。
いわずとしれた、夏目漱石『吾輩は猫である(1905-07)』である。今から100年以上前の文章なのに、注釈なしでほぼわかるのがすごい。
これを、ですます調にしてみる。
○吾輩は猫です。名前はまだありません。
どこで生まれたか、とんと見当がつきません。なんでも、薄暗いじめじめしたところでニャーニャー鳴いていたことだけは記憶しています。吾輩はここで始めて人間というものを見ました。しかもあとで聞くと、それは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうです。
後者○に違和感はないか?あるとすれば、それはまず「吾輩」にただよう、上から目線の一人称と、低姿勢な文体のミスマッチでではないか。「私」「ぼく(オスなので)」に修正したくなる。「オレ」でもちょっと合わない。
つまり、ですます調にしたとたんに、ひとりごと感、がなくなるのだ。読み手を想定した「読んでいただく」文章に様変わりする。
結論、読んでもらいたかったら、エントリーシートはですます調で書こう。
え?学術論文は、教授によんでいただくのに、である調だって?そりゃそうだよ。ですます、はいわばお飾り。粉飾された文章を、えんえんと何十枚も読んでごらん、うっとおしくて内容が頭に入ってこない。
もうひとこと。句点はカンマ(,)、読点はピリオド(.)ではなく、点(、)とマル(。)でよろしい。
論文がこれを強いられるのは、昭和以前の昔、公文書に和文タイプを使っていたことが元になっているそうな。タテ書きのマス目の右上に「。」や「、」を設定するのは、技術的に至難の業だったらしい。
だから「君、カンマとピリオドを使うのが常識だよ」と卒論修論博論のチェック時にエラそうに注意されたら、「それって尾てい骨とか、シーラカンスと同じですかね」と言い返したまえ。
*参考
公用文の横書きのコンマ、時代遅れ?68年後の見直し案 朝日新聞デジタル2020/12/27