「コーヒーをブラックで飲むは日本人だけ」というサイトを、いくつか見かけた。これは極論としても、アジア、ヨーロッパにかぎらず、海外ではみんなドバドバ砂糖とミルクを入れているような印象だ(本場アフリカとアラブではどうなのか)。エスプレッソでいえば、これを砂糖なしで飲む人を見るのは、たぶん日本だけだろう。
自販機でも、ブラック缶の躍進がめだつ。平成20年代までは、各自販機にブラック缶が1本あるかどうか、ではなかっただろうか。ところが、いまやコーヒー缶が5本ほどあるとすれば、1本はミルク砂糖入り、もう2本が微糖、のこりがブラックといったぐあいだ。健康志向の高まりか。
ただし、本当に健康に留意が必要な高齢者層は、圧倒的に砂糖ミルク派である。高齢者宅訪問時のデフォルトは、フレッシュ添えの砂糖入りコーヒー。ときには、砂糖・乳糖類とを入念にかき混ぜたものを供される。そこには、昭和の名キャッチコピー「●●●●を入れないコーヒーなんて」の残り香がただよっている。
考えてみればあたりまえだ。日本では、高度成長期まで砂糖は貴重品だった。牛乳を飲む習慣もそのころからで、子どもの栄養不足をおぎなうための学校給食を通じて定着した。大量の砂糖とミルクを入れた高栄養のコーヒーが、当時の人々にとって、どれほどおいしく贅沢に感じられたか想像に難くない。
その後、本来のコーヒーの香りや味が楽しめるまで、流通や保存の技術は向上した。だが、人間、出会い頭でおいしいとおもったものが、生涯を通じた味覚の基準になる。
ちなみにタハラは子ども時代の記憶から、長らくコーヒーぎらいだった。特に、酸味が強いとされるものを避けていた。が、酸化のすすんだ(つまり古い)豆を当時口にしたのが原因であることに気づき、軌道修正できた。単純なものである。
コーヒーをどう飲むかは、その人が、最初にどういう出会い方をしたかによるのだろう。勉強でもスポーツでも対人間でも同じだ。人生を左右するような好き嫌いも、案外単純なきっかけから生じるのかもしれない。