この言葉については、大阪弁ネイティブの橋下徹氏は「僕は生まれた時から使っていますけどねぇ」とのこと。さすが元・弁護士だ。基本的にこれは「責任解除」の言だからだ。
たとえば、毎年、阪神地方で使われる典型例はこれだ。
●今年こそたぶん優勝やで、知らんけど
つまり「優勝する、という私の考えを申し述べました。ただし、それを額面通り受け取るかどうかは、聞き手の判断に委ねますよ」だ。「*参考意見」「諸説あり」などの脚注と同じはたらきをする。
無責任や責任回避とは違う。その底辺にあるのは、期待予測だ。あくまでも責任のリリースである。
だから「雨が降りそうやね、知らんけど」は、用例としてなじまないような気がする。自然・社会現象など、そもそも個人の責任範囲を大きくこえる場合は「わからんけど」がベターだ。
それにしても、どうしていまさら、これが流行語なのか。関西人としては、なんでやねん、と戸惑いを隠せない。 放送大学の金水先生は、流行の理由について「Z世代がネットで影響をうけたんじゃないでしょうか、まぁ、知らんけど」といっておられるようだ。