the King of 論破王

論破王とは何か。

 

それは、論争において相手をやりこめるのに長けた人のことだ。弁護士時代・不敗神話をほこった橋下徹氏に冠せられたその称号を、いまはひろゆき氏が引き継いでいる(二代目のご本人はこの名を嫌がっているらしい)。

 

ところが、上には上がある。むかしむかしあるところにおわした、もっとすごい人を見よ。この人こそ、人となりたるイエス・キリストである。

 

得意技は、現代ニッポンの論破王のような冷笑や皮肉、毒舌ではない。「相手の土俵で論じる」「たとえ話」といった王道である。以下はホンの一例。

 

●律法で定められた安息日(働いてはならない日)に麦を収穫し「規則違反や」ととがめられたとき

「英雄ダビデが腹減ったときに、お供えのパン黙って食べたん、聖書で読んで知ってるやろ?規則は人のためにあるんや、人が規則のためにいるんやない」

→相手の絶対的論拠「聖書」から実例を借りて論破

 

●「納税や服役などのローマ皇帝への義務と、神への義務とどちらが大切か」とイジワル問題を投げかけられたとき

「銀貨の両面見てみ。皇帝の名前と肖像画があるやん?皇帝が作ったもんはすべて皇帝に返す。人間の心とか体とか、神さまからもらったものは神さまに捧げる。2つは別の話とちゃうの?」

→銀貨という目に見えるたとえで、論点を整理

 

こんな方がディベート大会に出たら、ぶっちぎりで優勝、対戦相手も聴衆も足もとにひれ伏してしまうだろう。SNSではカリスマとして、またたくまにフォロワーが群がるに違いない。

 

いや、古代ローマ帝国でも同じだった。あまりのフォロワーの多さに畏れをなした当局から、扇動者として処刑されてしまった。それにもかかわらずイエスの栄光はあせず、今も世界で20億以上の人がその教えを尊んでいる。

 

日本の論破王はどうかな?2000年後には…多分誰も覚えていないよね。