子育てにまつわる三題噺「昔話、自慢話、説教」

3/27日経に掲載された鈴木亘・学習院大学教授による『少子化対策の視点 女性の逸失所得 防止が本筋』が話題になっているらしい。

 

「出産とは一種の投資行動だ。ただし、1,300万~3千万程度の子育てにかかる直接費用より考慮すべきは女性の機会費用だ。その逸失利益は1億から2億に達する。現金給付や現物給付の効果よりも、雇用と子育てを両立できるよう抜本的な対策を打て」が、話の趣旨である。

 

今さら、何を言っているんだ。

 

2023年時点での20歳の数は117万人。一方2022年の出生数は80万人を下回っているから、2043年あたりの20歳の3割減は自明の理である。この20年間、何をしていたのかな⁉

 

というなげきを、自らの半生に乗せて、高田純次が年寄りに禁じたという「昔話、自慢話、説教」で展開してみたい。

 

まず、昔話。

私が社会人になったのは、男女雇用機会均等法が導入されてしばらくのこと。総合職(管理職候補)、一般職(業務内容を限定)という呼称が定着したころだった。女性総合職は、東大・京大卒のみ、が不文律の時代であったので、当然私などは一般職でしか採用されなかった。生意気なことを言いまくって就活に苦労したが、NHKの朝ドラに取り上げられた中堅の某保険会社にもぐりこんだ。

 

つづいて昔話と微妙な自慢話。

ところがバブル時代に突入し、企業は女性総合職の数を、先進性を示す指標として競うようになった。勤務先からは大手にまけじと、人事考課のたびに「総合職にならないか」のお誘いが来る。保険会社だから、総合職は全国津々浦々にある支社への転勤をのむことが前提だ。当然、断っていた。だが敵もさるもの「優秀な君には、本社の管理部門勤務を保証するよ」と甘言をささやいてきた(支社配属の人たちが聞いたら憤死するであろう)。

 

さらに自慢話。

それを鵜吞みにして総合職へと転換したとたん、バブルが崩壊した。お飾りは不要と、手のひらを返したように、周囲の女性総合職は遠方の支社に配属されていった。結婚し子どもを授かったばかりの私も育休開けに、近隣ではあったが、容赦なく支社に営業として配置転換された。そこで一念奮起、めきめきと頭角を現した。クラッシャー上司のもと、なれない業務でミスを連発しするものの、やがて営業成績は全国数番目となった。

 

自慢話、その後。

ところが、忙しすぎて事務処理が追い付かず、心身がボロボロになった。つづく長時間労働に、子の面倒を見てくれていた私の両親もだんだん疲れていく。家族に、育児と家事について分担かアウトソーシングを打診した。分担については「ムリ」。アウトソーシングについては「家事のみOK。ただし自分の実家には言わないこと」を条件にした。

 

ここでまた子どもに恵まれたことが判明。上司はマタハラ上司に進化し、退職を迫ってくる。鉄の女といわれたタハラも、さすがに胃腸炎と切迫流産を併発した。絶対安静の布団の中から、ああ、ここで撤退か。女性は、平凡なサラリーマン人生すら全うすることが難しいのだ、と天井をながめたことを覚えている。

 

以上、約30年前の話。そして説教。

こうやって私は子育てによって退職を余儀なくされ、安定雇用を失い、多大な逸失利益を被ったーというと「お母さんより大切な職業はないのに」と血相をかえてたしなめる人は多い。その人に問いたい、なぜ、私は親業と職業の二者一択を迫られたのか、いや、今でも多くの女性がこれを迫られるのか。

 

どんなにがんばっても、今のところ、子どもを産めるのは女性に限られている。だが、この数十年で法律こそ作られたものの、税制や年金などの社会制度や雇用慣行、オジサン社会の流儀はそのままだ。多くの職場ではあいかわらず、仕事と子育ての綱渡りを強いられるような環境がつづく。働く女性にとって、少子化は当然の帰結であろう。

 

どうしてこの問題をたなざらしにしている?責任者、でてこい!