マルハラの真実

世は4月も中旬。ようやく新人研修が一段落ついてきたころだ。当方にとっては、フレッシャーズに接することで自分がリフレッシュできるという、楽しい季節でもある。

 

また、フレッシャーズ相手にちょっとしたアンケートができることも楽しい。今年は話題の「マルハラ」にした。調査方法は対面手上げ方式で、対象者は200名以上、場所は近畿圏。SNSツールを模したPPスライドに、マルを付けた短文とつけない短文とを見せ「どちらにより圧を感じるか」と聞いた。

 

結果は、マルを付けた短文に「圧を感じない」が圧勝だった。

 

でも手上げ方式だから、遠慮したのかもしれない。重ねて「この2つのコメントから受ける印象自体は違ってた?」聞いてみた。

 

すると、う~ん、と困った顔をしたあとで「マルありは、別になくていいっていうか、ムダっていうか」「うん、1文字もったいないもんね」「めんどくさいし」。

 

「でも、SNSでやりとりするときはできるだけマルを使うな、と公的な悩み相談室ではマニュアルがあるらしいんだけど」に対しては「え~マジですか!」と全員のけぞった。「なんで~」「そこまでないし」と口々に驚いたあと、ボソッと出た一言。

 

「それって、相談してる相手が、年配の人ってバレないようにするためじゃないですか」

 

なるほど、この説は興味深い。文体のウラに隠れた、相手のバックグラウンドを探っていたわけだ。

 

SNSは、顔の見えないツールだ。文字だけのやりとりから、ヒトは相手の人間像を無意識下に結ぶ。どんな性格なのか、社会においてどんな立場なのか…そこでいきなり中高年アイコンである「。」が登場した時、「げっ、オバハン(オッサン)かっ!!」と身構えてしまうのではないか。

 

つまり句点(。)ではなく、書き手の年齢にアツを感じているというわけだ。面白い仮説なので、引き続き検証したい。そして自分の文章のアンチエイジングのためにも、今後、SNSに限っては文末の句点をひかえるように心がけたい。